阿賀野上ノ城の事件簿

昔は名探偵でした。

炒飯 5日目

5月6日12時30分ごろ。虚無と炒飯に満ちたGWもいよいよ最終日。俺が対面したのは見慣れたキッチンではなく、あの日本一有名な中華料理チェーン店、王将である。餃子の王将 南海岸和田店。

 

最終日、最後に全力でもう一度炒飯を作ってみようかとも思ったが、やめた。何となく結末が想像できたからだ。昨日までの反省点を踏まえてもう一品作り、また何かしらの反省点を見つけて終わりである。たったの四日間ではあるが、それでも炒飯を作り続けてわかったことがある。炒飯の世界は果てしなく広い。今日一日少し頑張ったところで、真理にたどり着くことはないだろう。ならば、少しでも視野を広げてみることだ。日本で最もポピュラーな炒飯を食すことで理想の炒飯のイデアの一端をつかみ取り、自分が作り続けてきた炒飯の出来栄えをあらためて客観視することが出来るのではないか。

 

そんな思いではるばる15分ほど自転車をとばしてきた。お腹もいい具合に減っている。早速店に入り、カウンター席に座って焼き飯セットを注文する。ほどなくして、ここ最近嗅ぎなれた香りとともに俺の前に焼き飯、炒飯が姿をあらわした。

 

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テカりがすごい。何をどうしたらこんなにテカテカになるのかわからないが、とにかく表面が光っている。米粒は俺の炒飯に比べてかなり小さい。石川県産コシヒカリ以外の米なのか、はたまた何かしらの技術で普通のコメを縮めているのか。とにかく味だ。いただきます。レンゲで一掬いし、口に運ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここに来る前、たった四日間とはいえども炒飯を嗜んだ身としては、賛否を織り交ぜた食レポみたいなことが出来るのではないのだろうかと思っていた。しかし、この瞬間にそんな高尚な考えは吹き飛んだ。自作の炒飯を食べ続けていながら、いや、自作の炒飯を食べ続けたからこそ、料理の感想として最も頻出する、単純な二文字しか言えなくなった。

 

旨い。

 

旨すぎる。

 

テカテカのご飯は口に入れた瞬間にパラパラと広がっていき、心地よいコショウの刺激が口いっぱいに広がっていく。よく噛んだご飯は元の米粒が小さいのでスルっと喉を通り抜けていく。これが金をとるレベルというものか。ソムリエめいた緩やかな動きで味わうように食べることもなく、ひたすらアホみたいにかきこんで食べきった。セットでついてきた餃子とスープの味も格別だったことは追記するまでもないだろう。

 

 

 

餃子の王将南海岸和田店は我が母校、岸和田高校と非常に近い。勘定を済ませて店を出たその足で、俺は母校へと向かった。正確には、母校に前にそびえたつ岸和田城に。ベンチにでも座ってゆっくりとこの五日間を思い直す。

 

冷静に考えて、いや冷静に考えなくてもクソッタレなGWだった。大した予定もなく、ただいたずらに炒飯を作り続けただけだった。トライアルアンドエラーを積み重ね、なんとか作れるようになった炒飯への誇りも今しがた崩れた。

 

小さな話ではないか。ただ、炒飯を作って、気儘勝手に感想を得てまた炒飯を作る。これと言った不安定も、心揺さぶる人物との邂逅も、運命的な共通項も何もない。それなりにへこんだり喜んだりもしたが、別に取り立てて激しいものでもなかった。気の置けない仲間とドンチャンやったほうがよっぽど充実していただろう。

冷静に考えていうべきことと言えばこんな感じだろうか。すべては俺自身が悪いのだと。炒飯作りしかやることがなかったのではない。炒飯に逃げていたのだ。予定がなかったのではない。予定を作ろうとしなかったのだ。全力で楽しむべきここぞという時に、炒飯に逃げる。そういう斜に構えた態度が現状を引き起こしているといってもよいだろう。哀しいかな。こんなことに大学生になってから気づくとは、いやはやもう、なんというか、手遅れである。

 

このクソッタレな5日間をクソッタレだったからこそ、こうして文字に残した。俺はこれからも一人の休日を過ごし続けるだろう。そして、炒飯を作り続けるだろう。その時にこの文章がなにかの助けになれば、この五日間はきっと意味のあるものになるだろうから。

 

来年こそは、炒飯などとは無縁な日々を送ってみせるという気はない。むしろこう言いたい。来年こそは、炒飯すら楽しめるような人間になってみせると。そのために必要な知識と仲間を探しに行くと。ようは、捉え方一つだ。どこかの絵描きも言っていたではないか。

 

「この世界は全部思い込みだ。物語の世界だって、現実の世界だって、自分の手で自分の心に思い描くだけで、世界を操れる。世界の色を塗りかえれる。世界は今思っているよりも、もっとマシな世界に見える。世界を変える力、ホーホギョクはみんなの心に宿った」

 

 

我ながら5日間連続で炒飯を食べるとか正気の沙汰ではない。尋常じゃないぐらい飽きた。しばらく見たくもない。

 

 

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岸和田城はいつ見ても元気が出る。三年間見飽きることがなかっただけはある。