【勝手に訂正】The Experiential Design Authority Announces World Expolympics Winners
時は2025年。場所は大阪。
公式で発表されたパビリオンのアワードは世論に流されないといえば聞こえはいいが一般庶民の感覚からすると「?」と思わざるを得ないものであった。そこで、大阪関西万博のパビリオンに分類される部分は全て網羅した私が誠に僭越ながら勝手に訂正させてもらうという傲慢極まりない記事である。
公式アワードの記事貼っときます↓
以下、勝手に訂正版。
よく分からないものや一般庶民からすると判別不能なアワードは除外している。
またパビリオンのスケール感などは主観なので間違えているかも。
容赦なくネタバレしているのでこれからまだ万博に行く予定がある人はご注意あそばせ。
Best Large Pavilion
Gold: イタリア
荘厳さを感じるセンスが自分にもあるんだとわかる。日本にいる限り絶対に見れないものを生で見れるという万博の1番良いところと、死ぬほど並ばされるという万博の1番悪いところどっちも味わえる最強のパビリオン。
Silver:韓国
人生で最も大切なことを急に言わされ、それを元にコーネリアスみたいな音楽を奏でられる。あとやたらとライトバチバチ。
最後に映像がある。亡くなった祖父の遺した楽譜を高校生?が友だちとなんやかんやあって再生するストーリー。とにかく『CONNECTION』という曲が素晴らしい。時間や空間を超えて繋がることをテーマにした歌詞。これはストーリーとも被せているし、成長していく社会への期待という万博らしい見方の表現とも感じられる。壮大なスケールを扱っているが、描写は妙に一人称的でロマンチックで、そのギャップがえも言われぬ良さを感じさせてくれる。
見れなかった人のために公式動画貼っときます。
https://m.youtube.com/watch?v=tuzaJmtw-cw&pp=ygUQY29ubmVjdGlvbiBpd2lzaA%3D%3D
Bronze: アメリカ
Together中毒になる。オオタニパート好き。映像作品が始まる前の漫談パートも好き。べセントが訪問してから急にトランプの存在感がとんでもない事になったのも一周回って好き。
Best Medium Pavilion
Gold: トルクメニスタン
始めて行った海外パビリオン。後に原点にして頂点だと知る。単純な訪問回数はダントツ。プロパガンダむき出しの映像とアラバイ様はいつだって私たちに勇気と御加護を授けてくださる。自国で使われてる洗剤を展示することが喜ばれると思う自己肯定感の高さを全日本国民は見習うべき。アラバイ様のピンバッジがめっちゃ可愛い。
Silver: インドネシア
ネットでも話題になったがスタッフの盛り上げ方がめちゃくちゃ上手い。手持ち無沙汰な時に「とりあえずインドネシアでも見て元気になるか……」となるくらい魅力的。ネットだとヘビーローテーションの動画などが話題だが、初期の頃は歌詞もあやふやなままとりあえず歌っているなどおおよそ人前に見せていいクオリティではないものを披露していた。例え完璧でなくてもやりきることが大切だということ、世界は音楽で心をひとつにすることができるということを学べるパビリオン。
なお中身は結構真面目系でかつinteresting な魅力がある。最後の映像作品の荘厳さは必見。
Bronze: ドイツ
さーきゅらーちゃんかわちい!たくさんおはなししてくれる!おはなしむずかしいけどさーきゅらーちゃんがんばってはなしてくれるからきいちゃう!!さーきゅらーちゃんのさいごかなしいけどおもしろかった。回転するベンチのところでイチャつくカップルは地獄に堕ちろ。
Best Small Pavilion
Gold: アイルランド
本場のアイリッシュ音楽を目の前で披露してくれる。身も心も解してくれるような心地良さを感じられる。『The Legacy Jig』という曲はは優しさの中にも力強さ、荘厳さを感じることができ、今でも定期的に聴いている。
昼のガイドも話が面白く、植物や本物のハープを触れるなど見応えたくさん。
Silver: ヨルダン
砂パビリオン。本場の22トンの砂が敷き詰められている。砂は非常に細かく触り心地は最高。払えばすぐ落ちる。
砂ブースの前のヨルダンの紹介パートでは打楽器を使った音ゲーを楽しめたり、スタッフの方はとても丁寧で気持ちがよかったり、出口のカフェで飲めるデーツが絶品だったりと小さい箱に魅力がぎゅぎゅっと詰まっている。
Bronze: チュニジア
仮面が中に浮いて動いては消えていくホラー演出がある。国の威信をかけた万博でこの映像を採用するあたり相当イカれた国であることがわかる。個人的に出口の店が本番。車座のテーブルでご飯を食べたり、アラビア語で自分も名前を掘ったアクセサリーをお手頃価格で買えたりする。
Best Corporate/Theme Pavilion
Gold: いのちめぐる冒険
『超時空シアター』が最高。数々の映像作品がある万博でもダントツの満足度。没入感が半端なく、VRという技術に無限の可能性を感じる。演出も素晴らしい。様々なスケール、視点から世界全体を見渡した展開が「いのちは変形、合体だ!」というテーマを力強く示してくれる。
『ANIMA』はもののけ姫にでてきたこだまの進化系みたいなのが沢山出てくる。
Silver: いのちの未来
万博一番の感動ストーリー。行けば行くほど泣けてくる。「それは、この世界に私の愛情を遺すものよね」というセリフが忘れられない。涙腺崩壊パビリオンかと思いきや終盤には子どもがみたらギャン泣きしそうなホラー演出で締められるため、最終的には訳の分からない感情で退館させられる。
個人的に最後のコーナーのアンドロイドが住友館の最後に出てきて踊るアイツにそっくりに感じるのだが……。
Bronze: NTT
SNSでは3つ目のコーナーがよく話題になるが個人的には1つ目の『繋がる』がテーマの映像と2つ目のPerfumeのライブ体験が最高。ネビュラロマンスでPerfume沼にハマりそうだと思っていたらまさかの活動休止(コールドスリープ)が発表された……。
Best Exterior Architecture
Gold: アゼルバイジャン
見た目の荘厳さは間違いなくナンバーワン。始めて見た時から心奪われた。
Silver: タイ
アイデア賞的なやつ。
Bronze: オランダ
昼と夜で姿を変えてくる。とても幻想的。
Best Tech Integration
Gold:中国
中国由来の遺跡を囲っているガラスがディスプレイになっており、説明を読んだり展示品の映像を回転させたりページをめくったりすることが出来る。中国の歴史と最新技術を同時に感じられる。
Silver:ノモの国
クリスタルをもって色々するのだが、何かしらの形でその動きを元に妙に正確な性格診断をしてくる。友だちや職場の同僚など多くの人がみな「当たってる!」と話しており、ちょっと怖いくらい。
「お前は考えるより先に身体が動くことがないか?」というまるで僕がせっかちで考えなしのような診断結果が出現し、非常に腹立たしかった。
Bronze:Tech-World
パビリオンに入ると腕時計をつけさせられる。3つのゾーンを巡り自分がどのコーナーでどのくらい心動かされたのかを計測してくる。その結果を元に企業館のはずなのに何故か台湾のオススメ観光スポットを教えてくれる。
1つ目のディスプレイの森のコーナーと合わせて、未来の技術をたっぷり感じられる。
Best Pavilion Mascot
Gold:ドイツ(サーキュラーちゃん)
さーきゅらーちゃんおしゃべりでかしこくてかわいい!!
Silver: チェコ(レネ)
個性的なフォルムがクセになる!ピンバッジがオシャレで万博中ずっとつけてた!
Bronze: null (落合陽一)
SNSでたくさん暴れてて可愛い!!
以上となりますぅ。万博はいいぞ。
なぜか頭から離れなかった歌詞シリーズ
誰かが今日こぼした溜息は氷のつぶてになって降る
傘も持たず 今 君がいるなら踊るように 並んで歩こう(TOMOO『Super Ball』)
誰かが髪を切っていつか別れを知って 太陽の光は
ふりそそぐ
ありとあらゆる種類の言葉を知って 何も言えなくなるなんてそんなバカなあやまちはしないのさ
(小沢健二『ローラースケート・パーク』)
運命の河流れ いま抗え 気付かず生き惚けた
過去をみな紡ぎ縄に変えて 出口に繋ぐまで
(星野源『Cube』)
Lovely!いつか魔法解けて
Bye bye!すべて忘れても
Praying!だけど祈りのように
なぜだか僕を安心させるさ
(fhana『愛のシュプリーム!』)
読書記録
読んだ本の記録です。
矛盾の解消やら生成やらを、単語で行わなければならないという決まりはない。そんな事態が文法的に解消されたり生成されたりする言葉というのはないものだろうか(円城塔『道化師の蝶』)
彼の妻が、彼について歌い続ける。彼には身に覚えのない、彼の実績について低い声で歌い続ける。自分はそんなことをしたのだろうと彼は思い、実際そんなことをしたと思い出す、彼の名を織り込んだ歌を今はまだ歌う。いずれ彼が姿を消せば、彼女は歌から名前を消去し、ずっと昔の人物についての歌としてそれを歌い続けることになるだろう。(円城塔『松ノ枝の記』)
でも多分重要なのは、物質の流れが輪を描くこと。描かれた輪が整合性の名の下に、私の思考を紡ぎ出すと信じることが出来るように、この世はなぜかできている。くるくる回る因果の輪が、そうして回ることにより、自分は回っているのだというメッセージを刻む。これはペンですとしか書けないペンみたいに。(円城塔『これはペンです』)
何かを信じてしまう代償として生まれるものは、そいつは最早僕のことなど、知らないだろうが、それでもなにかの種類の、僕みたいな僕の形だ。(円城塔『パラダイス行』)
「悪人を気取ると楽だよー? 何しても『自分は悪人だから』で済ませられるから」(成田良悟『Fate strangeFAKE①』)
「貨幣とは雑種に成長と堕落を同時にもたらした最高の発明品(まじない)だ。我も嫌いではない。それ程の逸品でありながら、最大の使い道が『浪費』とはなかなかに滑稽な在り方よ」(成田良悟『Fate strangeFAKE②』)
「人に再現できる魔術はいいの。だけど、人の限界を定義した魔法なんてものは無い方がいい。私はそう信じてるし、その壁に立ち向かう愚かさこそが人間の本質だって信じてるの」(成田良悟『FatestrangeFAKE③』)
「俺は綺麗ごと以外も好きだがな。……綺麗ごとを言って、それを最後までやってのける主役ってのは、新聞でも戯曲でもよく売れやがるんだ、これが」(成田良悟『FatestrangeFAKE④』)
人間の最大の武器は、習慣と信頼だ。
(伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』)
選択肢は無限なようで、実は一つしかない。その選択肢は、カスタマイズすること。カスタマイズの地獄。
友達を作ると、人間強度が下がるから
作者になりたいっていうのは、要するに、人形使いになって、自分を人形どもから区別したいという、エゴイズムにすぎないんだ。女の化粧と、本質的には、なんの変わりもありゃしない
こんな具合に理性が役立たなくなり、自由がなくなると、必然と偶然のけじめがまるでなくなって、時間はただ壁のようにぼくの行手を塞ぐだけです。
(安部公房『S カルマ氏の犯罪』)
「願掛け」は人の祈りに対する集中力を持続させることに役立ち、祈りの時間を延長させる。
「ここが好き」「こういうところが好き」とかは言えるけど「ここがあるから好き」「こういうところがあるから好き」というふうには言えないの
「人は、自分より先に死んで悲しいに決まってるペットを、それでも飼うんですよ」
「大人の男は、謝らない」
僕は声を低くして言った
「魂の価値が、下がるから」
「どうやって生きるかは自分で決められるけど、どうやって死ぬかは、決められないみたい。ちょっと、くやしいわ」
(川上弘美『水声』)
「本郷は生真面目で、注意深く、責任感が強く馬鹿みたいに優しく、脆い。私の親友です。けど、こんな言葉で説明して何がわかりますか」
エネルギー消費の緩やかな一年を送れますように
(米澤穂信『あきましておめでとう』)
回避は好きだし省略は大好きだ。しかし先延ばしは好きではない。厄介事を見て見ぬふりをしても、いずれやらねばならない処理がより厄介になるだけだ……。
「あんた、謙遜もいいけど自覚もしなよ」
(米澤穂信『わたしたちの伝説の一冊』)
「見返りのある頼み事の場合、相手を信用してはいけない」
それに不幸というやつ、こいつは結婚みたいでね。当人は自分で選んだと思っているが、いつの間にか選ばれたのが自分というわけだ。なにしろそれは現実だから、どうにもならん。
「天才とは苦痛を無限にしのぶ能力があるものだというが、こいつはきわめて拙劣な定義だ。こいつはむしろ探偵に下すべき定義だよ」
(コナン・ドイル『緋色の研究』)
物事をあきらめるのに、9月ほどうってつけの月もない。
差別する人には私から見ると二種類あって、差別への衝動や欲望を内部に持っている人と、どこかで聞いたことを受け売りして、何も考えずに差別用語を連発しているだけの人だ
「あなたは蝶を捕まえてなどいないのですよ。蝶に勝手についてきただけだ」
(円城塔『道化師の蝶』)
全体が正気のものであると信じ込む種類の狂気を、正気に考える方法が存在するとする狂人は常に存在する。
(円城塔『Goldberg Invariant』」 )
皆やはり有罪であって、何らかの罰を受けるべきであると、僕は思う。想像もできないような酷いことが自分たちのそばで起こりうるのだと、想像すらしていなかったという罪状で。
ああ、ただの勉強家では駄目なのだ。頭で組み立てた理想などは端から矛盾せざるをえない、この生々しい現実世界の混沌に直面するや、とたん浮き足立つような輩では使えないのだ。
(佐藤賢一『パリの蜂起』)
ああ、そうだ。父に復讐したかったのではない。認めあい、わかりあいたかったのだ。そうすることで禍々しい怪物から、愛されるべき人間に戻りたかったのだ
またどこかで出会うことがあるのじゃないかと考えることはなにか笑みを誘う。そんなことがあったって別に構わないだろう。なんといっても、時間はもう粉々に砕けてしまって、順番も一貫性も滅茶苦茶なのだ。
(円城塔『self reference engine〜Bullet〜』)
だから、無邪気に信じていた。自分の気持ちがあの頃からずっと変わらずにこの胸の中に今もあるんだと。それは、間違ってはいないと思う。だけど、美緒自身があの頃のままだったわけじゃない。
文章の自動生成とは、読む者と読まれる者の間に浮かぶ人間の姿を描きだすことに他なりません。
(円城塔『AUTOMATICA』)
変な文脈読んだつもりになってアホなところに余計な顔突っ込むなよ探偵
「意思は結果を創るんですよ。みんなそれを知ってます。だから結果を得たとき、どんな人間でも全能感を味わうんですよ。頑張ればできる。やればなんとかなるって言葉の本当の意味はそれですよ」
踊り出せよディスコティック。急いでな。恐怖に立ちすくむような贅沢なんて、お前にはもう許されてないんだ。
砂糖でできた弾丸では子供は世界と戦えない。あたしの魂は、それを知っている。
「なんで俺がルンババ12かというとー! 俺が十二の時に涼ちゃんが死んだせいでー!なんとなく俺、十二歳のまんまの部分があるんやー!」
「可能性という言葉を無限定に使ってはいけない。我々という存在を規定するのは、我々がもつ可能性ではなく、我々がもつ不可能性である」
「人間には物語が必要なのです。血沸き、肉躍る物語がね。大体、そんな理屈は大抵の者には理解ができない。理解できないものは存在しない。手で触れ、見ることのできるもの以外はね。物語はわたしたちのおろかさから生まれ、痴愚を肯定し続ける」
「お姉様は何でもそうな風に、理解と詩でアルフォンヌを飾っておしまいになる。詩で理解する。あんまり神聖なものや、あんまり汚らしいものを理解するただ一つのやり方」
(三島由紀夫『サド公爵夫人』)
「愛されようとするには、同情さえしたらいいのだ。ところが僕は決して同情はしない」
(サン・テグジュペリ『夜間飛行』)
彼女がもたらした心の震えがいったい何であったのかを理解した。それは充たされることのなかった、そしてこれからも永遠に充たされることのないであろう少年期の憧憬のようなものであったのだ。
「誰だって傷つくしかないのにさ、傷つくことに抵抗するんだよな、女って」
(江國香織『東京タワー』)
就活がつらいものだと言われる理由は、ふたつあるように思う。ひとつはもちろん、試験に落ち続けること。単純に、誰かから拒絶される体験を何度も繰り返すというは、つらい。もうひとつは、そんなにたいしたものではない自分を、たいしたもののように話し続けなくてはならないことだ。
(朝井リョウ『何者』)
騎士道物語の要諦は、ただただ、その記述における模倣の仕方にあるのであって、その模倣が忠実であればあるほど、書きあがった作品が優れたものとなるのさ
子供を育てるなんてこと、不真面目にでもやらなきゃ、たまらない苦行だわよ
(川上弘美『水声』)
涼子さんは最後までにこやかな笑顔をたもちつづけた。出ていく日には、かつおのたたきと菜の花のおひたし、小さなステーキを拍子木に切って熱いごはんに乗せたもの、それにねぎみそという、涼子さんの大好きな料理ばかりをつくって食卓にならべ(渉の好きなもの、というのでないのがよかった。そういう感傷的な感じは、まいる)食べおわると、片付けはせずに、じゃあね、と手をふって出ていった
(川上弘美『どこから行っても遠い町』)
幸福になるための、完璧な方法がひとつだけある。
それは、自己のなかにある確固たるものを信じ、しかもそれを磨くための努力をしないことである。
夢の中で、僕は彼女を求めて歩く。そうしていることに気づくことが夢だと気づくことになる。
あなたは何かを意図してみる。意図していると知らないままに兎に角意図する。意図に従い行為が生じ、それからあなたは、自分が意図したことを脳の活動としてはっきりと知る。それだけだ。
(円城塔『良い夜を持っている』)
あなたのいるその場所では、バックアップはクロックの進行と密接な関係を持っています。
(円城塔「さかしま」)
ホントの願い事なんて、ネットの世界なんかに絶対に書いちゃ駄目なのだ。
「でも、すぎてしまえはずっと一緒にいた相手をいちばん愛していたと思ってしまうのね、きっと」
「当時の歌や詩をあまり舐めない方がいいぜ。毎日寝物語で聞かせてたら、それこそ呪いか祝福みてえに人の魂を改造してもおかしかねぇ」
(成田良悟『FatestrangeFAKE③』)
「あらゆる畜生の中でもっとも頭の良い生き方をしているのは猫に違いないが、アイツらが小狡いのも魚を喰うせいに違いないぞ」
僕はここにいると、本たちがみな平等で、自在につながりあっているのを感じることが出来る。その本たちがつながりあって作り出す海こそが、一冊の大きな本だ。
(森見登美彦「深海魚たち」)
その場にいない第三者への悪口というものは、人々をかたく結びつけるものである
どんなことを為すにしても、誇りを持たずに行われる行為ほど愚劣なものはない。ひるがえって言えば、誇りさえ確保することができればどんな無意味な行為も崇高なものとなり得る。
俺の理性がそう主張する。しかし人間は理性のみによって生きる存在にあらず。長門はそれを「ノイズ」と言うかもしれない
他の生き物には絶対に無くて、人間にだけあるもの。それはね、ひめごと、というものよ。
(太宰治『斜陽』)
人間への不信は、必ずしも宗教の道に通じているとは限らないと、自分には思われるのですけど。
「ウサギをつかまえたいときは、穴にイタチを入れるんです。そうすれば、なかのウサギが逃げだしてくる。わたしがやったのは、そういうことです」
「テレビも一種の宗教だ」
「お馬鹿さんのアダム、誓いは偽りの始まりということを知らないの。私に嘘をつかせるようにしむけたのはあなたよ」
(安部公房「魔法のチョーク」)
贋物であることに免疫になってしまったぼくには、もう魚の夢をみる資格さえないのかもしれない。箱男は、何度繰返して夢から覚めても、けっきょく箱男のままでいるしかないらしいのだ
「よく星が瞬くって言うでしょ。あれは空気が汚れてるからなんですよ。澄みわたった空だと、瞬かないんです」
(重松清『流星ワゴン』)
「優しい人は二種類いると僕は思っている。家族に大切にされ、友達や恋人にも愛され、人に優しくされるのも優しくするのも当然と思っている人。痛い目に遭わされ、辛い思いをして、痛みをわかっているから人に優しくしようと思っている人」
(畑野智美『国道沿いのファミレス』)
まんがや音楽ではなくて、この子が世界を広げてくれるんだという予感がした。
(畑野智美『海の見える街』)
視覚は遠い灯を感ずるだけだった。足を踏む感覚も視覚を離れて、如何にも不確だった。只頭だけが勝手に動く。それが一層そういう気分に自分を誘って行った。
(志賀直哉「城の崎にて」)
民兵隊は単なる人気者を、真実の指導者に変えてくれる。力の裏づけを与えてくれるからである。なお仲間であるとは思いながら、もう人々は容易なことでは逆らえない。それが仮に非合法な武力出会ったとしても、だ。
――そうなって、はじめて言葉も意味をなす
(佐藤賢一『革命のライオン』)
「ええ、我々は人民でしかありません。しかしながら、我々は自らに自信がないからこそ、弱く見えるのではないかと恐れているからこそ、目的以上のこともしてしまうのです。乱暴で、非常識な耳打ちに、取り憑かれることもあります。騒擾と混乱と反逆の渦中においては、温和な理性も、静かな知性も、我々の導き手たりえません」
(佐藤賢一『パリの蜂起』)
なんとなれば、ルイ16世は頑固だ。
思いのほかに頑固で、ほとんど強情なようにも感じられる昨今だった。そもそもが鈍重で、決然としたところがない人物だったが、のらりくらりと決断から逃げながら、それ自体が王一流の政治力なのかと、おかしな感心をさせられるほどである
「ごらんなさい。私の病気を知ってから、もうあなたは苦しんではいらっしゃらないわ。いくら隠しても、目に喜びが、目に光がよみがえっていふ。残酷なむつみ合い、それが癩者の愛なのですわ。もうあなたを愛することなどできません」
(三島由紀夫『癩王のテラス』)
「愛するとは彼女と同じ不完全なレベルになること」というひとつの自己犠牲神話を崩すためには、ひとりの女性とのささやかな生活を犠牲にて、全世界を救う選択をしたヒーローという、これまた地球人好みの大きな自己犠牲神話が必要だったというわけだ。
(井辻朱美『とっても奇蹟な日常』)
「でもお母さま、悲しい気持ちの人だけが、きれいな景色を眺める資格があるのではなくて? 幸福な人には景色なんか要らないんです」
水を抱く気持ちっていうのはセックスのない淋しさじゃなく、それをお互いにコンプレックスにして気を使いあっていることの窮屈。
「ボウモアをロックで」
小さな食卓をととのえながら、私の孤独は私だけのものだ、と思った。
(江國香織「ねぎを刻む」)
「つまづく石でもあれば私はそこでころびたい」
(江國香織『ホリー・ガーデン』)
一度出会ったら、人は人を失わない。
例えばあのひとと一緒にいることはできなくても、あのひとがここにいたらと想像することはできる
(江國香織『神様のボート』)
旅が、好きなのだろうと思う。移動するというただそれだけのこと、様々な土地の空気を吸うというただそれだけのことが、私たちにはたぶんとても大切なのだ。
(江國香織『がらくた』)
「おれたち盲は目明きの、慰みものだ。先生がいくら立派なお盲さまになり、また、大仕事をやってのけても、目明きどもは《ほう、盲の身でありながらよくやった》とほめてくれるだけですよ。いつも「盲」の一字がついてまわる。そこへ行くと金は別だ。金さえあれば向うから揉み手して寄ってくる」
(井上ひさし『藪原検校』)
「マーサがあのピンボケのイジドアにやったクモ―あれもきっと模造だったんだ。だが、そんなことはどうでもいい。電気動物にも生命はある。たとえ、わずかな生命でも」
(フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』)
科学も宗教も労働も芸術もみんな大切なもの。けれどもそれらを、それぞれが手分けして受け持つのではなんにもならない。一人がこの四者を、自分という小宇宙のなかで競い合わせることが重要だ。
(井上ひさし『イーハトーボの劇列車』)
「われわれは、まるで生き物に対するように、その本に質問をします。事実、その本は生きているんです。キリスト教の聖書のように。多くの本が、実際に生きているんです。これは比喩的な意味じゃありません。言霊がそれを生かしているんです」
(フィリップ・K・ディック『高い塔の男』)
健康な人は誰でも、多少とも、愛する者の死を期待するものだ。
(カミュ『異邦人』)
「みつからなくてもいいのよ。探したって事実が、大事なの」
「あれが宗旨替えをする気になったのは、あんた方の宗教がわしたちのそれより優れていると悟ったからだなどと思ったら大間違いだぞ。あれはただ、あんた方の国へ行けばわたしたちの国でよりふしだらなことがもっと自由にできることを知ったにすぎないのさ」
何かと煙は高いところが好きと人は言うようだし父も母もルンババも僕に向かってそう言うのでどうやら僕は煙であるようだった。
(舞城王太郎『世界は密室でできている』)
「この世の出来事は全部運命と意思の相互作用で生まれるんだって、知ってる?」
「全てのことに無駄はないんやけど、推理小説的事件じゃないと誰も意味を読み解こうとせんでそれに気づかれんのや。ほやけど探偵が集まる事件では違うやろ?意味を読み取って、世界の出来事の美しいほどの無駄の無さを知るんじゃ」
文脈の変化が大きいのにそこに自然と乗ってこれるのは、言葉や形として表に出てきている文脈以外の流れが見えない形で共有されているからだろう。僕らにとっては、それはいつも宇宙と星の話だ。
「どんな偉いもんになってもどんなたくさんお金儲けても、人間死んだら煙か土か食い物や。」
炒飯 5日目
5月6日12時30分ごろ。虚無と炒飯に満ちたGWもいよいよ最終日。俺が対面したのは見慣れたキッチンではなく、あの日本一有名な中華料理チェーン店、王将である。餃子の王将 南海岸和田店。
最終日、最後に全力でもう一度炒飯を作ってみようかとも思ったが、やめた。何となく結末が想像できたからだ。昨日までの反省点を踏まえてもう一品作り、また何かしらの反省点を見つけて終わりである。たったの四日間ではあるが、それでも炒飯を作り続けてわかったことがある。炒飯の世界は果てしなく広い。今日一日少し頑張ったところで、真理にたどり着くことはないだろう。ならば、少しでも視野を広げてみることだ。日本で最もポピュラーな炒飯を食すことで理想の炒飯のイデアの一端をつかみ取り、自分が作り続けてきた炒飯の出来栄えをあらためて客観視することが出来るのではないか。
そんな思いではるばる15分ほど自転車をとばしてきた。お腹もいい具合に減っている。早速店に入り、カウンター席に座って焼き飯セットを注文する。ほどなくして、ここ最近嗅ぎなれた香りとともに俺の前に焼き飯、炒飯が姿をあらわした。

テカりがすごい。何をどうしたらこんなにテカテカになるのかわからないが、とにかく表面が光っている。米粒は俺の炒飯に比べてかなり小さい。石川県産コシヒカリ以外の米なのか、はたまた何かしらの技術で普通のコメを縮めているのか。とにかく味だ。いただきます。レンゲで一掬いし、口に運ぶ。
ここに来る前、たった四日間とはいえども炒飯を嗜んだ身としては、賛否を織り交ぜた食レポみたいなことが出来るのではないのだろうかと思っていた。しかし、この瞬間にそんな高尚な考えは吹き飛んだ。自作の炒飯を食べ続けていながら、いや、自作の炒飯を食べ続けたからこそ、料理の感想として最も頻出する、単純な二文字しか言えなくなった。
旨い。
旨すぎる。
テカテカのご飯は口に入れた瞬間にパラパラと広がっていき、心地よいコショウの刺激が口いっぱいに広がっていく。よく噛んだご飯は元の米粒が小さいのでスルっと喉を通り抜けていく。これが金をとるレベルというものか。ソムリエめいた緩やかな動きで味わうように食べることもなく、ひたすらアホみたいにかきこんで食べきった。セットでついてきた餃子とスープの味も格別だったことは追記するまでもないだろう。
餃子の王将南海岸和田店は我が母校、岸和田高校と非常に近い。勘定を済ませて店を出たその足で、俺は母校へと向かった。正確には、母校に前にそびえたつ岸和田城に。ベンチにでも座ってゆっくりとこの五日間を思い直す。
冷静に考えて、いや冷静に考えなくてもクソッタレなGWだった。大した予定もなく、ただいたずらに炒飯を作り続けただけだった。トライアルアンドエラーを積み重ね、なんとか作れるようになった炒飯への誇りも今しがた崩れた。
小さな話ではないか。ただ、炒飯を作って、気儘勝手に感想を得てまた炒飯を作る。これと言った不安定も、心揺さぶる人物との邂逅も、運命的な共通項も何もない。それなりにへこんだり喜んだりもしたが、別に取り立てて激しいものでもなかった。気の置けない仲間とドンチャンやったほうがよっぽど充実していただろう。
冷静に考えていうべきことと言えばこんな感じだろうか。すべては俺自身が悪いのだと。炒飯作りしかやることがなかったのではない。炒飯に逃げていたのだ。予定がなかったのではない。予定を作ろうとしなかったのだ。全力で楽しむべきここぞという時に、炒飯に逃げる。そういう斜に構えた態度が現状を引き起こしているといってもよいだろう。哀しいかな。こんなことに大学生になってから気づくとは、いやはやもう、なんというか、手遅れである。
このクソッタレな5日間をクソッタレだったからこそ、こうして文字に残した。俺はこれからも一人の休日を過ごし続けるだろう。そして、炒飯を作り続けるだろう。その時にこの文章がなにかの助けになれば、この五日間はきっと意味のあるものになるだろうから。
来年こそは、炒飯などとは無縁な日々を送ってみせるという気はない。むしろこう言いたい。来年こそは、炒飯すら楽しめるような人間になってみせると。そのために必要な知識と仲間を探しに行くと。ようは、捉え方一つだ。どこかの絵描きも言っていたではないか。
「この世界は全部思い込みだ。物語の世界だって、現実の世界だって、自分の手で自分の心に思い描くだけで、世界を操れる。世界の色を塗りかえれる。世界は今思っているよりも、もっとマシな世界に見える。世界を変える力、ホーホギョクはみんなの心に宿った」
我ながら5日間連続で炒飯を食べるとか正気の沙汰ではない。尋常じゃないぐらい飽きた。しばらく見たくもない。

岸和田城はいつ見ても元気が出る。三年間見飽きることがなかっただけはある。
炒飯 4日目
炒飯以外何もない日々もここまで続くと精神がやられるようになってきている。昨晩は虚無感でなかなか寝付くことが出来ず、起きたのは11時を過ぎてからだった。
5月5日12時30分ごろ。眠い目をこすりながらチッキンの前に立つ。今日も今日とて炒飯である。母に「今日も炒飯作るから」と告げると、「今日も二人分作ってくれ」と言われた。正気かと思った。既に4日連続で自作の炒飯を食べ続けている俺がいうことでもないが、舌が狂ったのではないだろうか。
さて、昨日に引き続き課題は味付けの薄さだ。コショウ、しょうゆ、万能中華のもとの三種の神器を駆使しても理想の刺激を得られず、途方に暮れていた俺に救いの手を差し伸べてくれたのはまたしても母だった。とにもかくにもレシピといこう。
〇ご飯 300g
〇卵 三個
〇ニラ 適当
〇サラダ油 大さじ3杯
〇しょうゆ 適量
〇塩 小さじ1/3 杯
〇香味ペースト 適量
コショウと万能中華のもとという、刺激的な味付けを与えてくれる二つをレシピから削除し、代わりに現れたのがクックドゥの「香味ペースト」だ。

イケメンアイドルの山田涼介君がCMで宣伝していることで有名な代物。昨晩母が買ってきてくれた。キャッチコピーは「味付けこれ一本!」である。母曰はく、俺が求めている刺激はこいつで達成されうるのではないのかとのことだ。試してみる価値はあるだろう。キャッチコピーを信用して、これ一本で勝負してみようではないか。それにしても「万能中華のもと」の三日後にはさらなる強力な「香味ペースト」が現れる、ドラゴンボール並みのパワーバランスインフレーションである。
同じことを繰り返す必要はないだろう。途中まで昨日と全く同じ工程を踏み、最大火力を以てしてたまごご飯を炒め続けること10分。いよいよ秘密兵器の力を試す時がやってきた。水気を失い、焦げ目がつき始めている卵ご飯に香味ペーストを加える。約18センチメートルほど入れ、よくかき混ぜる。これまでにないほど強い香りが立ち上った。思わずむせてしまうほどだ。なるほどこれは強い。炒飯一つとっても広い世界があるものだなどと感心する間もなく、スプーンで味見をする。フライパンから出したてのご飯はとても熱い。しかしその熱気に負けないほどの濃さで辛みが舌を刺激してくる。申し分ない。さすが山田君が宣伝しているだけはある。これからクックドゥとHey! Say! JUMPは贔屓にするとしよう。とどめにニラをふりかけ、しょうゆを一周だけさせてよくかき混ぜて一丁上がりだ。

見た目はびっくりするほど昨日と変わらない。しかし、ご飯の味は各段に成長を遂げていた。旨い。4日連続の炒飯で辟易している俺の舌でもわかるほどにはいい味が出ている。母も(いつものことではあるが)「美味しい」とご満悦の様子だった。全体としてはまた一ついいものを作ることが出来たのではないのだろうか。
ただ、今日のご飯は二日目や三日目に比べてすこしパラパラぐあいが弱い。時に粒同士がくっつきあったまま焼き目がついているものある。原因としては卵とご飯を十分に混ぜ合わせていなかったことがあげられるだろう。味の濃さに気をとられ、足元をすくわれたわけだ。
今更思い直したが、もっと具を詰めるべきではなかったのだろうか。肉、ニンジン、グリーンピース、いくらでも追加できたが、なぜか具はネギかニラの一点張りだった。やはり理想の炒飯への道は遠い。課題はいくらでも残っている。
だが、炒飯と虚無に満ちていたGWも残すところあと一日である。俺は明日の最終日、一体何をすべきなのか。香味ペーストに浸食されながらもわずかな旨みを残していたご飯を噛み締めながら俺は考えた。
炒飯 3日目
5月4日12時ごろ。ほぼほぼ24時間ぶりのキッチンである。今日の目標は一つ。
「石川県産コシヒカリの面影を殺し、調味料を贅沢に使ったジャンキーな炒飯を作る」
である。早速レシピといこう。
〇ご飯 300g
〇卵 三個
〇ニラ 適当
〇サラダ油 大さじ3杯
〇しょうゆ 適量
〇A(塩 小さじ1/3、こしょう 適量、万能中華のもと 適量)
刻みネギがなくなってしまったので、ニラで代用することにした。
また、母から「私も炒飯が食べたい」と言われ、二人分作ることになったのでご飯の量が昨日に比べて増えている。無論、卵の量も。一日おきに炒飯を食べたがるとは、変な息子には変な母親がいるものである。いや、単に俺を労ってくれているだけかもしれない。そうだとすれば情けないことこの上ない。
さて、ニラをみじん切りすることを除けば途中までやることは昨日と変わらない。俺は慣れた手つきでフライパンに油をひき、卵ご飯を炒めていく。フライパンの中の温度は設定可能な最大温度である。
5分も経っただろうか。ここからが今日の正念場だ。新たな戦法を生み出していく昨日までとは違い、今日の戦いは単純な物量勝負、特別な工程の変化などなく単純に投入する調味料の量を増やすだけでよい。俺はコショウ、万能中華のもと、ニラ、しょうゆの順で、その全てを昨日の三倍ほどの量でぶち込んだ。具体的な量を言えないのは申し訳ないが、だいたいフライパン三周分ぐらいである。フライパンがあらためてジュージューという音をたて、刺激的な香りが鼻孔をくすぐる。全体がよくなじんだところで炒飯をスプーンで少しだけすくい、すかさず味見をする。
・・・・・・薄い。ウソだろ。三倍だぞ。まだ足りないのか?早すぎたのか?いかん、ニラが縮んできた。引き時だ。いや、しかしこれは・・・・・・。
結局、そのあと調味料類をもう一周したところで盛り付けに入った。あれ以上炒めすぎでニラを小さくするわけにはいいかなかった。

母はいつものように「美味しい!」と喜んでくれた。まあ、一昨日の餅に比べれば会心の出来だっただろう。しかし、今日は負けた。俺は負けたのだ。さすがに昨日よりは濃い味になっている。しかし、石川県産コシヒカリの旨み、ふっくら感は健在だった。甘かった。日本が世界に誇るコシヒカリを舐めていた。俺ごときが力任せに押さえつけられるような代物ではなかった。これ以上の調味料の介入は家庭の予算に迷惑をかけ、「気軽にサッと作れる炒飯」の域を逸脱してしまう。理想が高すぎたのだろうか。思いなおす。そもそも、料理としてはこれぐらいが妥当なのかもしれない。明日への道に迷いながら、しかしいつものように比較的真顔で食べきった。
余談であるが、炒飯を食べた直後、ツイッターを開いてタイムラインを覗いてみた。眩しかった。そこには愛すべきフォロワーたちが各々のGWを楽しんでいる様子がこれでもかと連投されていた。写真に写るたくさんの笑顔、「~なう!」、「○○最高だった!」。皆さん楽しそうで何よりである。俺はどこでこの人たちと違う世界に行ってしまったのであろうか。しかし悲しむことなかれ、俺には俺のGWがある。そう、目の前に広がるチッキンという名の戦場のボーイズ・ライフ。この炒飯さえあれば俺は満足をいくGWを過ごすことができる訳ねえだろふざけんなボケ。
炒飯 2日目
5月3日11時30分ごろ、約17時間ぶりにキッチンと向かい合った。今日作る昼食は俺一人分だけだ。祖母は入院、母と弟は出かけてしまった。なにせ世間はGW。外出して友や恋人とランチを楽しむのがGWの昼食のデフォルトであろう。忌々しいことこの上ない。俺自身としては貴重な青春を焼きめし作りごときに浪費しているという現実に目を背けながら今日もキッチンへと向かう。
昨日の悪夢のような敗北の夜から学んだことを元に、俺はレシピの若干の変更を行った。
〇ご飯 200g
〇卵 二個
〇きざみねぎ 適当
〇サラダ油 大さじ3杯
〇しょうゆ 適量
〇A(塩 小さじ1/3、こしょう 少々、万能中華のもと 適量)
昨晩との変更点は3つ
➀まず、調味料の量にたいする厳格性をなくした。味を調える類のものは適宜味見をしながら量を調節した方がよいと判断したためである。
➁昨晩、母がおもむろに投入した「万能中華のもと」なるものを追加した。使えるものは使うべきであろう。

そして、最も重要な変更が
③ご飯の量に対する卵の量を二倍にした。
である。理想の炒飯を作り上げるための、当面のところ一番の課題はいかにしてご飯をパラパラにするかだ。昨晩のような奇怪な真似は言語道断として、普通にやってもご飯が固まってしまうことは経験済み。別の対策を練らなくてはならない。俺は思い切って、手料理のエキスパートたる母に助言を求めた。そのアドバイスを元に編み出した新たな戦法のためには、倍の量の卵が必要となる。
材料をすべてそろえた俺は、昨晩と同じようによくといた卵を投入した。但し、向かう先はアツアツのフライパンではなく、ご飯が盛られているお茶碗だ。ちょっと卵の量が過多気味の卵かけご飯のようになったお茶碗の中身をよく混ぜて、ムラがないようにしたあと、満を持して油をひいて加熱してあるフライパンにぶち込む。フライパンに着地した卵かけご飯はジュージューという小気味よい音をたてる。
昨晩の水分離戦法の落ち度は、ご飯の周りを取り囲んでいた物質がご飯の中に取り込まれてしまい、中途半端に残ってしまったことにある。であれば、米粒の中にはしみこまず、かつ粒の間に張り巡らせることが可能な物質で同じことを試みれば今度こそ上手くいくはずだ。そう、まさに例えばご飯と並んで炒飯に必要不可欠である生卵のような。米粒にあらかじめ卵を混ぜておくことにより、米粒同士の結合を防ぐ。これが今日の作戦。名付けて「卵コーティング戦法」である。昨晩に比べて卵の量が増えている理由はここにある。十分なコーティングを施すには、ご飯100gに対して卵が一つ必要だったのだ。
全ての卵かけご飯を投入し終え、菜箸で二、三回かき回したあと、加熱温度を一気に最大近くまで上げる。ご飯が一層激しい音をたてる。俺は可能な限りの中の素早さでご飯をかき回す。卵は急激に凝固していき、そして・・・
10分後、フライパンの中は昨晩とは全く違う様相を呈していた。表現するとすればフライパンの中のご飯は、なんというか、パラパラになっていた。ちょっと箸を通すとご飯粒は大した抵抗もなく離れ離れになっていく。
パラパラ。
パラパラである。
やった。
やったのだ。卵コーティング戦法は成功した。理想の炒飯への道しるべとなる、一筋の光は指したのである。俺は有頂天になっていた。興奮に任せるまま残りの調味料と刻みネギ、そして万能中華のもとをそれぞれフライパン一周程度ふりかけ、十分に混ぜ合わせた後に昨晩と同じようにお茶碗の中に詰め込み、お皿に盛りつけた。お皿に載った炒飯はすぐさま崩壊をはじめ、きれいなドーム状とはかけ離れた姿になっていく。だが、その一見不格好な炒飯の様子すら俺には輝かしく見えた。ご飯がきれいに固まらないということは、その炒飯は理想に近い、パラパラだということなのだから。

食器の片づけは後にして、俺はすぐにその炒飯にありついた。炒飯はアツアツに限る。旨い。我ながら昨日に比べて格段に旨くなっている。なにより、触感が違う。パラパラ。パラパラ最高。「勝利の味」とはまさにこのことである。「空腹は最上の調味料である」とは誰の名言だったが忘れたが、これからは「達成感」も入れておくべきだろう。パラパラ、万歳。ハレルヤ。
家の中で一人、わき目もふらず炒飯をかきこみ、げらげら笑っている男の姿はさぞかし気味の悪いことだっただろう。さんざん一人で騒いだあとにふと考えた。さて、それでは俺は目指すべき理想の炒飯を得られたのか。
否。確かにパラパラにはなった。しかし、まだ足りない。昨日の自分が叫んだ理想の炒飯の定義を思いかえす。
「お茶碗に行儀よくよそわれたジャパニーズライスのモチモチ触感など不要。協調性なく米粒は反発しあい、その一粒一粒が調味料によってこれでもかと無遠慮に浸食される、一口食べたら陶酔してしまいそうな刺激が舌を攻撃するテロルでアナーキーなパラパラ炒飯こそ至高たりえるのだ」
パラパラは達成された。しかし、今日の炒飯にはまだどこか、上品さが残っていた。細川家御用達の石川県産コシヒカリの旨み、弾力性はいまだに健在だったのである。早い話が、調味料の味が薄い。コシヒカリに負けてしまっている。思えば、ご飯がパラパラになったことに浮かれて料理の基本たる味見を忘れていた。これはこれでおいしいが、炒飯としての真理を探究するならばもっと刺激を求めるべきであろう。明日の課題は決まった。酩酊を引き起こすような濃い味で、石川県産コシヒカリを凌辱しつくす。これが達成された暁には、また一つ理想の炒飯への扉が開くであろう。
それにしても、我ながら酔っ払いのうわごとみたいな語り口だなおい。