読んだ本の記録です。
矛盾の解消やら生成やらを、単語で行わなければならないという決まりはない。そんな事態が文法的に解消されたり生成されたりする言葉というのはないものだろうか(円城塔『道化師の蝶』)
彼の妻が、彼について歌い続ける。彼には身に覚えのない、彼の実績について低い声で歌い続ける。自分はそんなことをしたのだろうと彼は思い、実際そんなことをしたと思い出す、彼の名を織り込んだ歌を今はまだ歌う。いずれ彼が姿を消せば、彼女は歌から名前を消去し、ずっと昔の人物についての歌としてそれを歌い続けることになるだろう。(円城塔『松ノ枝の記』)
でも多分重要なのは、物質の流れが輪を描くこと。描かれた輪が整合性の名の下に、私の思考を紡ぎ出すと信じることが出来るように、この世はなぜかできている。くるくる回る因果の輪が、そうして回ることにより、自分は回っているのだというメッセージを刻む。これはペンですとしか書けないペンみたいに。(円城塔『これはペンです』)
ありがとう。後藤さん。
今あなたの頭の中で恥じらう、素っ裸の後藤さん。その姿をあなたが時々思い出してくれたなら、それ以上の僥倖はない。
おやすみ。後藤さん。でも僕たちにはまだ、そんな巫山戯た光景をどうすれば真面目に考えることができるのか、本当に全然、わからないんだよ(円城塔『後藤さんのこと』)
何かを信じてしまう代償として生まれるものは、そいつは最早僕のことなど、知らないだろうが、それでもなにかの種類の、僕みたいな僕の形だ。(円城塔『パラダイス行』)
「悪人を気取ると楽だよー? 何しても『自分は悪人だから』で済ませられるから」(成田良悟『Fate strangeFAKE①』)
「貨幣とは雑種に成長と堕落を同時にもたらした最高の発明品(まじない)だ。我も嫌いではない。それ程の逸品でありながら、最大の使い道が『浪費』とはなかなかに滑稽な在り方よ」(成田良悟『Fate strangeFAKE②』)
「人に再現できる魔術はいいの。だけど、人の限界を定義した魔法なんてものは無い方がいい。私はそう信じてるし、その壁に立ち向かう愚かさこそが人間の本質だって信じてるの」(成田良悟『FatestrangeFAKE③』)
「俺は綺麗ごと以外も好きだがな。……綺麗ごとを言って、それを最後までやってのける主役ってのは、新聞でも戯曲でもよく売れやがるんだ、これが」(成田良悟『FatestrangeFAKE④』)
トルネドの定義は以下の通り
「無限回のレフラー球覗き込みにおいて、距離無限小まで無限回接近することの知られた、無数のレフラー球系列よりなる構造物」(円城塔『boy’s surface 』)
人間の最大の武器は、習慣と信頼だ。
(伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』)
選択肢は無限なようで、実は一つしかない。その選択肢は、カスタマイズすること。カスタマイズの地獄。
(小沢健二『魔法的モノローグ』)
「その通り、酔っているのです。しかも、酔えば永久に醒めないような飲み物を飲んで、このようにわしは酔っているのです」
(ベディエ『トリスタン・イズー物語』)
友達を作ると、人間強度が下がるから
(西尾維新『傷物語』)
誰だって、見られるよりは、見たいのだ
(安部公房『箱男』)
人間は、誰だって、死人に借りがあるんですよ(安部公房『制服』)
作者になりたいっていうのは、要するに、人形使いになって、自分を人形どもから区別したいという、エゴイズムにすぎないんだ。女の化粧と、本質的には、なんの変わりもありゃしない
(安部公房 『砂の女』)
こんな具合に理性が役立たなくなり、自由がなくなると、必然と偶然のけじめがまるでなくなって、時間はただ壁のようにぼくの行手を塞ぐだけです。
(安部公房『S カルマ氏の犯罪』)
「願掛け」は人の祈りに対する集中力を持続させることに役立ち、祈りの時間を延長させる。
(舞城王太郎『好き好き大好き超愛してる』)
「ここが好き」「こういうところが好き」とかは言えるけど「ここがあるから好き」「こういうところがあるから好き」というふうには言えないの
(舞城王太郎『阿修羅ガール』)
蛇は穴に入り、人はやがて死ぬる。そしてぼくは、日々考え続ける。甘っちょろく、気長に、考えつづける。
(川上弘美『どこから行っても遠い町』)
「人は、自分より先に死んで悲しいに決まってるペットを、それでも飼うんですよ」
(舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日(上)』)
「大人の男は、謝らない」
僕は声を低くして言った
「魂の価値が、下がるから」
(西尾維新『化物語(上)』)
力があるやつって根本的に得だよな。好き勝手出来るもん
(西尾維新『化物語(下)』)
「どうやって生きるかは自分で決められるけど、どうやって死ぬかは、決められないみたい。ちょっと、くやしいわ」
(川上弘美『水声』)
「本郷は生真面目で、注意深く、責任感が強く馬鹿みたいに優しく、脆い。私の親友です。けど、こんな言葉で説明して何がわかりますか」
(米澤穂信『愚者のエンドロール』)
エネルギー消費の緩やかな一年を送れますように
(米澤穂信『あきましておめでとう』)
回避は好きだし省略は大好きだ。しかし先延ばしは好きではない。厄介事を見て見ぬふりをしても、いずれやらねばならない処理がより厄介になるだけだ……。
(米澤穂信『ふたりの距離の概算』)
「あんた、謙遜もいいけど自覚もしなよ」
(米澤穂信『わたしたちの伝説の一冊』)
「見返りのある頼み事の場合、相手を信用してはいけない」
(米澤穂信『クドリャフカの順番』)
それに不幸というやつ、こいつは結婚みたいでね。当人は自分で選んだと思っているが、いつの間にか選ばれたのが自分というわけだ。なにしろそれは現実だから、どうにもならん。
(カミュ『カリギュラ』)
「僕は例外というものを認めない。例外は法則を紊すものだ」
(コナン・ドイル『四つの署名』)
「天才とは苦痛を無限にしのぶ能力があるものだというが、こいつはきわめて拙劣な定義だ。こいつはむしろ探偵に下すべき定義だよ」
(コナン・ドイル『緋色の研究』)
物事をあきらめるのに、9月ほどうってつけの月もない。
(江國香織『薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木』)
差別する人には私から見ると二種類あって、差別への衝動や欲望を内部に持っている人と、どこかで聞いたことを受け売りして、何も考えずに差別用語を連発しているだけの人だ
(村田沙耶香『コンビニ人間』)
「あなたは蝶を捕まえてなどいないのですよ。蝶に勝手についてきただけだ」
(円城塔『道化師の蝶』)
全体が正気のものであると信じ込む種類の狂気を、正気に考える方法が存在するとする狂人は常に存在する。
(円城塔『Goldberg Invariant』」 )
皆やはり有罪であって、何らかの罰を受けるべきであると、僕は思う。想像もできないような酷いことが自分たちのそばで起こりうるのだと、想像すらしていなかったという罪状で。
(舞城王太郎『世界は密室でできている。』)
ああ、ただの勉強家では駄目なのだ。頭で組み立てた理想などは端から矛盾せざるをえない、この生々しい現実世界の混沌に直面するや、とたん浮き足立つような輩では使えないのだ。
(佐藤賢一『パリの蜂起』)
ああ、そうだ。父に復讐したかったのではない。認めあい、わかりあいたかったのだ。そうすることで禍々しい怪物から、愛されるべき人間に戻りたかったのだ
(佐藤賢一『バスティーユの陥落』)
己が信じる言葉のままを叫びながら、それゆえにロベスピエールの心には支えというものがない。他人に挫かれる痛みは免れないとしても、自らを恥じねばならない苦さはない。そのことを認めれば、デムーランの自問は切先を鋭くするばかりだった。
もしや僕は痛みから逃げているのか
(佐藤賢一『聖者の戦い』)
またどこかで出会うことがあるのじゃないかと考えることはなにか笑みを誘う。そんなことがあったって別に構わないだろう。なんといっても、時間はもう粉々に砕けてしまって、順番も一貫性も滅茶苦茶なのだ。
(円城塔『self reference engine〜Bullet〜』)
だから、無邪気に信じていた。自分の気持ちがあの頃からずっと変わらずにこの胸の中に今もあるんだと。それは、間違ってはいないと思う。だけど、美緒自身があの頃のままだったわけじゃない。
(鴨志田一『just because!』)
文章の自動生成とは、読む者と読まれる者の間に浮かぶ人間の姿を描きだすことに他なりません。
(円城塔『AUTOMATICA』)
変な文脈読んだつもりになってアホなところに余計な顔突っ込むなよ探偵
(舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日(上)』)
「意思は結果を創るんですよ。みんなそれを知ってます。だから結果を得たとき、どんな人間でも全能感を味わうんですよ。頑張ればできる。やればなんとかなるって言葉の本当の意味はそれですよ」
(舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日(中)』)
踊り出せよディスコティック。急いでな。恐怖に立ちすくむような贅沢なんて、お前にはもう許されてないんだ。
(舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日(下)』)
砂糖でできた弾丸では子供は世界と戦えない。あたしの魂は、それを知っている。
(桜庭一樹『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』)
「なんで俺がルンババ12かというとー! 俺が十二の時に涼ちゃんが死んだせいでー!なんとなく俺、十二歳のまんまの部分があるんやー!」
(舞城王太郎『世界は密室でできている。』)
「人生を論じるなど、ただの暇つぶしだ」
(森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』)
「可能性という言葉を無限定に使ってはいけない。我々という存在を規定するのは、我々がもつ可能性ではなく、我々がもつ不可能性である」
(森見登美彦『四畳半神話大系』)
自分のやったことを憶い出すぐらいなら、何も知らずに心を奪われていたほうがましだ。
(シェイクスピア『マクベス』)
「人間には物語が必要なのです。血沸き、肉躍る物語がね。大体、そんな理屈は大抵の者には理解ができない。理解できないものは存在しない。手で触れ、見ることのできるもの以外はね。物語はわたしたちのおろかさから生まれ、痴愚を肯定し続ける」
(伊藤計劃×円城塔『屍者の帝国』)
「お姉様は何でもそうな風に、理解と詩でアルフォンヌを飾っておしまいになる。詩で理解する。あんまり神聖なものや、あんまり汚らしいものを理解するただ一つのやり方」
(三島由紀夫『サド公爵夫人』)
「別れた女のことは嘘でも良く言うものよ」
(畑野智美『国道沿いのファミレス』)
「愛されようとするには、同情さえしたらいいのだ。ところが僕は決して同情はしない」
(サン・テグジュペリ『夜間飛行』)
「趣味と言えば言えなくもないね。一般的に頭のまともな人はそういうのを好意とか愛情とかいう名前で呼ぶけれど、君が趣味って呼びたいならそう呼べばいい」
(村上春樹『ノルウェイの森(上)』)
彼女がもたらした心の震えがいったい何であったのかを理解した。それは充たされることのなかった、そしてこれからも永遠に充たされることのないであろう少年期の憧憬のようなものであったのだ。
(村上春樹『ノルウェイの森(下)』)
「あなたが勇敢に前のほうばかり見ているのも、元をただせば、まだ本当の人生の姿があなたの若い眼から匿されているので、怖いものなしなんだからじゃないかしら」
(チェーホフ『桜の園』)
多くの人々の場合人々の注意や関心を惹きつけるのは、静止した顔立ちの善し悪しよりは、むしろ表情の動き方の自然さや優雅さなのだ。
(村上春樹『1Q84』)
「理想的な推理家は、たったひとつの事実をあらゆる面から見ただけで、それにいたる一連の出来事を一から十まで推理することができるし、そこから生ずる全ての結果も導き出すことができる」
(コナン・ドイル『五つのオレンジの種』)
「重要なのは、事情通や新聞記者がくっつけたごてごての余分な部分を取り除き、揺るぎない絶対的な事実のみを抜き出すことだ」
(コナン・ドイル『シルヴァー・ブレイズ』)
「誰だって傷つくしかないのにさ、傷つくことに抵抗するんだよな、女って」
(江國香織『東京タワー』)
「でも、会えなくなるって思ったら、会いたくなった。いなくならないでほしい」
(畑野智美『海の見える街』)
就活がつらいものだと言われる理由は、ふたつあるように思う。ひとつはもちろん、試験に落ち続けること。単純に、誰かから拒絶される体験を何度も繰り返すというは、つらい。もうひとつは、そんなにたいしたものではない自分を、たいしたもののように話し続けなくてはならないことだ。
(朝井リョウ『何者』)
合理性より優しさが大事な時もある。
(米澤穂信『満願』)
わたしは自分に問いかける。あんたは自分を守りたかった。それなら、リンゴは一個でよかったはずなのでは?
(湊かなえ『白ゆき姫殺人事件』)
イツキと暮らしはじめてわかったことがひとつある。だれかと一緒に暮らしていると泣き虫になる。
(有川浩『植物図鑑』)
伸びた髪と爪、そして汚れていくからだが、僕の生きている証だ。
(湊かなえ『告白』)
騎士道物語の要諦は、ただただ、その記述における模倣の仕方にあるのであって、その模倣が忠実であればあるほど、書きあがった作品が優れたものとなるのさ
(セルバンテス『ドン・キホーテ前編(一)』)
「サンチョよ、下賎な連中に恩恵をほどこすは大海に水を注ぐようなもの、とはよく言うたものじゃのう.......」
(セルバンテス『ドン・キホーテ前編(二)』)
子供を育てるなんてこと、不真面目にでもやらなきゃ、たまらない苦行だわよ
(川上弘美『水声』)
「なんでそんなにぐずぐずして、一人前にならなかったんだ。母さんは死んでしまった。喜びの日を味わうこともなく。友だちはロシアで途方に暮れている。3年前から黄ばんで紙くず同然。この私は、ほら、見てのとおりだ。お前にも目があるだろう」
(カフカ『判決』)
涼子さんは最後までにこやかな笑顔をたもちつづけた。出ていく日には、かつおのたたきと菜の花のおひたし、小さなステーキを拍子木に切って熱いごはんに乗せたもの、それにねぎみそという、涼子さんの大好きな料理ばかりをつくって食卓にならべ(渉の好きなもの、というのでないのがよかった。そういう感傷的な感じは、まいる)食べおわると、片付けはせずに、じゃあね、と手をふって出ていった
(川上弘美『どこから行っても遠い町』)
「すべてを真実だと思う必要はないのです
ただそれを必然だと思えばよいのです」
「陰気くさい考えですね」
とKは言って、「嘘が世界の法にされるってわけだ」
(カフカ『審判』)
幸福になるための、完璧な方法がひとつだけある。
それは、自己のなかにある確固たるものを信じ、しかもそれを磨くための努力をしないことである。
(頭木弘樹『絶望名人カフカの人生論』)
「雪って、寂しくないから好きよ」などとマサヨさんは言う。無防備なもの言いをする人だ。
(川上弘美『古道具 中野商店』)
「我慢するとは、心の中に、悪いもんが溜まるんや。ずっと後になって、しっぺ返しがくるんや。じっと我慢してたからて、正しいのとちゃう。私は耐えた、せやから許される。そんな簡単な話ちゃうんや。世の中は――この世は」
(澤村伊智『ぼぎわんが、来る』)
「たまには欠点の方も教えてもらえるとありがたいね」
文彦が言うと、可笑しそうに理恵はわらった。そして、
「いま教えてあげたじゃないの」
と、いうのだった。
(江國香織「寝室」)
夢の中で、僕は彼女を求めて歩く。そうしていることに気づくことが夢だと気づくことになる。
(舞城王太郎『好き好き大好き超愛してる』)
あなたは何かを意図してみる。意図していると知らないままに兎に角意図する。意図に従い行為が生じ、それからあなたは、自分が意図したことを脳の活動としてはっきりと知る。それだけだ。
(円城塔『良い夜を持っている』)
あなたのいるその場所では、バックアップはクロックの進行と密接な関係を持っています。
(円城塔「さかしま」)
「カッコ悪い姿のままあがくことができないあんたの本当の姿は、誰にだって伝わってるよ。そんな人、どの会社だってほしいと思うわけないじゃん」
(朝井リョウ『何者』)
ホントの願い事なんて、ネットの世界なんかに絶対に書いちゃ駄目なのだ。
「舞城王太郎『阿修羅ガール』」
「でも、すぎてしまえはずっと一緒にいた相手をいちばん愛していたと思ってしまうのね、きっと」
(江國香織『薔薇の木 枇杷の木 檸檬の木』)
真実は、時に世界の偽りを叩き潰す。
だが、『偽りがそこに存在していた』という『真実』を消すことはできない。
たとえ、聖杯の力を借りたとしても
(成田良悟『FatestrangeFAKE①』)
「我を敬うのは構わん。当然のことだからな。だが、我を盲信はするな? 目を輝かせたなら、その眼をもってして、己の道を見極める事だ」
(成田良悟『FatestrangeFAKE②』)
「当時の歌や詩をあまり舐めない方がいいぜ。毎日寝物語で聞かせてたら、それこそ呪いか祝福みてえに人の魂を改造してもおかしかねぇ」
(成田良悟『FatestrangeFAKE③』)
「お前らが最後まであいつを信じ抜きゃ、たかだか本物にすぎねぇ伝説の一つや二つ、いくらでま覆してやれるだろうよ」
(成田良悟『FatestrangeFAKE④』)
「真実とかいう煮ても焼いても食えねぇ不味い肉があったとしても、歴史って下味を付けて何年も寝かせた後に、ちょっとした嘘の調味料を振りかけりゃ、少しは食えるもんになるってわけだ」
(成田良悟『FatestrangeFAKE⑤』)
自分が弱い理由は、単純だ。
——私はそもそも·····強くなろうとしなかった。強くなりたくなかった·····。
——逃げる方が、ずっとずっと楽だったから
(成田良悟『FatestrangeFAKE⑥』)
「あらゆる畜生の中でもっとも頭の良い生き方をしているのは猫に違いないが、アイツらが小狡いのも魚を喰うせいに違いないぞ」
(森見登美彦『新釈 山月記』)
僕はここにいると、本たちがみな平等で、自在につながりあっているのを感じることが出来る。その本たちがつながりあって作り出す海こそが、一冊の大きな本だ。
(森見登美彦「深海魚たち」)
その場にいない第三者への悪口というものは、人々をかたく結びつけるものである
(森見登美彦『四畳半神話大系』)
どんなことを為すにしても、誇りを持たずに行われる行為ほど愚劣なものはない。ひるがえって言えば、誇りさえ確保することができればどんな無意味な行為も崇高なものとなり得る。
(森見登美彦『太陽の塔』)
俺の理性がそう主張する。しかし人間は理性のみによって生きる存在にあらず。長門はそれを「ノイズ」と言うかもしれない
(谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』)
ライフラインをあちこちに分散させておくのは野良のたしなみですよ。
(有川浩『旅猫リポート』)
濃い味と薄味では、薄味の方が失敗したときのリカバリーが利く、ということも学習した。
(有川浩『植物図鑑』)
おい森田、むしろ、人間の最大の武器は、笑えることではないか?
(伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』)
他の生き物には絶対に無くて、人間にだけあるもの。それはね、ひめごと、というものよ。
(太宰治『斜陽』)
人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ。
(太宰治「ヴィヨンの妻」)
人間への不信は、必ずしも宗教の道に通じているとは限らないと、自分には思われるのですけど。
(太宰治『人間失格』)
いかなる芸術家も芸術それ自体では満足できないのに、私は気づいた。他人に認めてほしいと思うのが自然な感情ではないか。
(アガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった』)
「例によって、ヘイスティングス、あなたの精神は美しく、疑うことを知らない。何年経っても、あなたのそういうところは変わらないんですね! あなたは事実を見て、同時にその解決法を口にしながら、自分がそうしていることに気づかないんです!」
(アガサ・クリスティ『ABC殺人事件』)
「ええ、そうです。9時半にアクロイド氏はすでに死んでいたのです。」
(アガサ・クリスティ『アクロイド殺し』)
「ウサギをつかまえたいときは、穴にイタチを入れるんです。そうすれば、なかのウサギが逃げだしてくる。わたしがやったのは、そういうことです」
(アガサ・クリスティ『オリエント急行殺人事件』)
「テレビも一種の宗教だ」
(伊坂幸太郎『ラッシュライフ』)
「お馬鹿さんのアダム、誓いは偽りの始まりということを知らないの。私に嘘をつかせるようにしむけたのはあなたよ」
(安部公房「魔法のチョーク」)
「漂流者が、飢えや乾きで倒れるのは、生理的な欠乏そのものよりも、むしろその欠乏にたいする恐怖のせいだという」
(安部公房『砂の女』)
かしこい人が言ったとさ
大きなナベを用意しろ
死人の季節がやってくる
幽霊集めてジャムつくれ
(安部公房『幽霊はここにいる』)
贋物であることに免疫になってしまったぼくには、もう魚の夢をみる資格さえないのかもしれない。箱男は、何度繰返して夢から覚めても、けっきょく箱男のままでいるしかないらしいのだ
(安部公房『箱男』)
「よく星が瞬くって言うでしょ。あれは空気が汚れてるからなんですよ。澄みわたった空だと、瞬かないんです」
(重松清『流星ワゴン』)
「俺の考えじゃ、薬をやるから人間が駄目になるんじゃない。人間が駄目だから中毒になるんだ」
(安部公房『けものたちは故郷をめざす』)
「優しい人は二種類いると僕は思っている。家族に大切にされ、友達や恋人にも愛され、人に優しくされるのも優しくするのも当然と思っている人。痛い目に遭わされ、辛い思いをして、痛みをわかっているから人に優しくしようと思っている人」
(畑野智美『国道沿いのファミレス』)
まんがや音楽ではなくて、この子が世界を広げてくれるんだという予感がした。
(畑野智美『海の見える街』)
「彼女がいる人にはコーヒー一杯だって、おごってもらっちゃいけないの」
(畑野智美『家と庭』)
視覚は遠い灯を感ずるだけだった。足を踏む感覚も視覚を離れて、如何にも不確だった。只頭だけが勝手に動く。それが一層そういう気分に自分を誘って行った。
(志賀直哉「城の崎にて」)
民兵隊は単なる人気者を、真実の指導者に変えてくれる。力の裏づけを与えてくれるからである。なお仲間であるとは思いながら、もう人々は容易なことでは逆らえない。それが仮に非合法な武力出会ったとしても、だ。
――そうなって、はじめて言葉も意味をなす
(佐藤賢一『革命のライオン』)
「ええ、我々は人民でしかありません。しかしながら、我々は自らに自信がないからこそ、弱く見えるのではないかと恐れているからこそ、目的以上のこともしてしまうのです。乱暴で、非常識な耳打ちに、取り憑かれることもあります。騒擾と混乱と反逆の渦中においては、温和な理性も、静かな知性も、我々の導き手たりえません」
(佐藤賢一『パリの蜂起』)
なんとなれば、ルイ16世は頑固だ。
思いのほかに頑固で、ほとんど強情なようにも感じられる昨今だった。そもそもが鈍重で、決然としたところがない人物だったが、のらりくらりと決断から逃げながら、それ自体が王一流の政治力なのかと、おかしな感心をさせられるほどである
(佐藤賢一『バスティーユの陥落』)
自由主義だの、民主主義だの、優勢を占めつつある政治信条に本気で傾倒する気はない。が、開明派を気取ることで、かかる標語を叫ぶことは造作もない。ああ、そういう手法で天下を取ろうというのが、私の考えというわけなのだよ
(佐藤賢一『聖者の戦い』)
芝居という夜空の花火のような絵空事にすぎぬものが、大の男大ぜい、こうも共通の狂気へみちびいてゆくのは、何故だろうか。
(三島由紀夫『椿説弓張月』)
「人間は間違いを犯す。国民であろうと、議会であろうと、王と同じに間違いを犯す可能性がある。我を通すために暴力にいわせることだって、短絡的に多くの兵隊を集めてしまうことだってあるのです」
(佐藤賢一『議会の迷走』)
「ごらんなさい。私の病気を知ってから、もうあなたは苦しんではいらっしゃらないわ。いくら隠しても、目に喜びが、目に光がよみがえっていふ。残酷なむつみ合い、それが癩者の愛なのですわ。もうあなたを愛することなどできません」
(三島由紀夫『癩王のテラス』)
「愛するとは彼女と同じ不完全なレベルになること」というひとつの自己犠牲神話を崩すためには、ひとりの女性とのささやかな生活を犠牲にて、全世界を救う選択をしたヒーローという、これまた地球人好みの大きな自己犠牲神話が必要だったというわけだ。
(井辻朱美『とっても奇蹟な日常』)
「でもお母さま、悲しい気持ちの人だけが、きれいな景色を眺める資格があるのではなくて? 幸福な人には景色なんか要らないんです」
(三島由紀夫『鹿鳴館』)
「私といえば変わったことはなにもなく、平和な日々でお茶漬けばかり食べている。秋は、一年じゅうでいちばんおいしいお茶漬けのおいしい季節だと思う」
(江國香織『落下する夕方』)
水を抱く気持ちっていうのはセックスのない淋しさじゃなく、それをお互いにコンプレックスにして気を使いあっていることの窮屈。
(江國香織『きらきらひかる』)
「ボウモアをロックで」
(江國香織「ケイトウの赤、やなぎの緑」)
小さな食卓をととのえながら、私の孤独は私だけのものだ、と思った。
(江國香織「ねぎを刻む」)
「つまづく石でもあれば私はそこでころびたい」
(江國香織『ホリー・ガーデン』)
この後私は大学に行き、友達ができ、恋人もできた。ドライブにも度々でかけた。もう、世界はじゃこじゃこのビスケットのようではなかった。
(江國香織「じゃこじゃこのビスケット」)
一度出会ったら、人は人を失わない。
例えばあのひとと一緒にいることはできなくても、あのひとがここにいたらと想像することはできる
(江國香織『神様のボート』)
旅が、好きなのだろうと思う。移動するというただそれだけのこと、様々な土地の空気を吸うというただそれだけのことが、私たちにはたぶんとても大切なのだ。
(江國香織『がらくた』)
「おれたち盲は目明きの、慰みものだ。先生がいくら立派なお盲さまになり、また、大仕事をやってのけても、目明きどもは《ほう、盲の身でありながらよくやった》とほめてくれるだけですよ。いつも「盲」の一字がついてまわる。そこへ行くと金は別だ。金さえあれば向うから揉み手して寄ってくる」
(井上ひさし『藪原検校』)
俺は、夕子さんの夢だけが、本物だと思った。
(朝井リョウ「水曜日の南階段はきれい」)
「さっきから目まいがしましてね、この大和座がぐるぐる回っているような気がして仕方がないんですよ」
(井上ひさし『もとの黙阿弥』)
「マーサがあのピンボケのイジドアにやったクモ―あれもきっと模造だったんだ。だが、そんなことはどうでもいい。電気動物にも生命はある。たとえ、わずかな生命でも」
(フィリップ・K・ディック『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』)
「たかが夢? 単なる夢? (きっとなって)人生は夢、夢こそ人生、その人生を誰が「たかが」「単なる……」と言えるか? そして仏法の成り立ちもまた夢と同じことなのだ」
(井上ひさし『道元の冒険』)
科学も宗教も労働も芸術もみんな大切なもの。けれどもそれらを、それぞれが手分けして受け持つのではなんにもならない。一人がこの四者を、自分という小宇宙のなかで競い合わせることが重要だ。
(井上ひさし『イーハトーボの劇列車』)
「われわれは、まるで生き物に対するように、その本に質問をします。事実、その本は生きているんです。キリスト教の聖書のように。多くの本が、実際に生きているんです。これは比喩的な意味じゃありません。言霊がそれを生かしているんです」
(フィリップ・K・ディック『高い塔の男』)
あなたの神様にお祈りして石ころのようなものにしてもらいなさい。それこそ神様のとっておきの幸福、唯一の本当の幸福よ。
(カミュ『誤解』)
健康な人は誰でも、多少とも、愛する者の死を期待するものだ。
(カミュ『異邦人』)
「誤認こそが我々だ。誤解こそが我々の世界だ。私たちが触れられるのは多種多様な真実であって、たったひとつの真実じゃない」
(三田誠『ロード・エルメロイII世の事件簿1』)
「みつからなくてもいいのよ。探したって事実が、大事なの」
(原田マハ『カフーを待ちわびて』)
「いかなる身分のものであれ、拙者の逆鱗に触れたくなければ、あの美しきマルセーラのあとを追うことはお控えなされ」
(セルバンテス『ドン・キホーテ前編(一)』)
幼い頃――小学生になるまで、わたしも両親に「こわいにおい」を感じていた。今ならわかる。それはお酒のにおいだった。あの人たちは酔っていたのだ。
(澤村伊智『ぼきわんが、来る』)
「いかに悲惨な運命の中にあっても、そばでともに嘆き悲しんでくれるものがおれば、それはそれでいくらかの慰めになる」
「セルバンテス『ドン・キホーテ前編(二)』」
「怖い話が伝わり広がること、それ自体なんだ。それが恐怖を引き起こす」
(澤村伊智『ずうのめ人形』)
「あれが宗旨替えをする気になったのは、あんた方の宗教がわしたちのそれより優れていると悟ったからだなどと思ったら大間違いだぞ。あれはただ、あんた方の国へ行けばわたしたちの国でよりふしだらなことがもっと自由にできることを知ったにすぎないのさ」
(セルバンテス『ドン・キホーテ全編(三)』)
何かと煙は高いところが好きと人は言うようだし父も母もルンババも僕に向かってそう言うのでどうやら僕は煙であるようだった。
(舞城王太郎『世界は密室でできている』)
「人の真価は、かれが死んだ時これから何を為そうとしていたかによって決まるのだ」
(荒俣宏『知識人99人の死に方』)
「この世の出来事は全部運命と意思の相互作用で生まれるんだって、知ってる?」
(舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日(上)』)
「全てのことに無駄はないんやけど、推理小説的事件じゃないと誰も意味を読み解こうとせんでそれに気づかれんのや。ほやけど探偵が集まる事件では違うやろ?意味を読み取って、世界の出来事の美しいほどの無駄の無さを知るんじゃ」
(舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日(中)』)
文脈の変化が大きいのにそこに自然と乗ってこれるのは、言葉や形として表に出てきている文脈以外の流れが見えない形で共有されているからだろう。僕らにとっては、それはいつも宇宙と星の話だ。
(舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日(下)』)
「どんな偉いもんになってもどんなたくさんお金儲けても、人間死んだら煙か土か食い物や。」
(舞城王太郎『煙か土か食い物』)