阿賀野上ノ城の事件簿

昔は名探偵でした。

炒飯 2日目

5月3日11時30分ごろ、約17時間ぶりにキッチンと向かい合った。今日作る昼食は俺一人分だけだ。祖母は入院、母と弟は出かけてしまった。なにせ世間はGW。外出して友や恋人とランチを楽しむのがGWの昼食のデフォルトであろう。忌々しいことこの上ない。俺自身としては貴重な青春を焼きめし作りごときに浪費しているという現実に目を背けながら今日もキッチンへと向かう。

 

昨日の悪夢のような敗北の夜から学んだことを元に、俺はレシピの若干の変更を行った。

 

〇ご飯 200g

〇卵 二個

〇きざみねぎ 適当

〇サラダ油 大さじ3杯

〇しょうゆ 適量

〇A(塩 小さじ1/3、こしょう 少々、万能中華のもと 適量)

 

昨晩との変更点は3つ

➀まず、調味料の量にたいする厳格性をなくした。味を調える類のものは適宜味見をしながら量を調節した方がよいと判断したためである。

➁昨晩、母がおもむろに投入した「万能中華のもと」なるものを追加した。使えるものは使うべきであろう。

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そして、最も重要な変更が

③ご飯の量に対する卵の量を二倍にした。

 

である。理想の炒飯を作り上げるための、当面のところ一番の課題はいかにしてご飯をパラパラにするかだ。昨晩のような奇怪な真似は言語道断として、普通にやってもご飯が固まってしまうことは経験済み。別の対策を練らなくてはならない。俺は思い切って、手料理のエキスパートたる母に助言を求めた。そのアドバイスを元に編み出した新たな戦法のためには、倍の量の卵が必要となる。

 

材料をすべてそろえた俺は、昨晩と同じようによくといた卵を投入した。但し、向かう先はアツアツのフライパンではなく、ご飯が盛られているお茶碗だ。ちょっと卵の量が過多気味の卵かけご飯のようになったお茶碗の中身をよく混ぜて、ムラがないようにしたあと、満を持して油をひいて加熱してあるフライパンにぶち込む。フライパンに着地した卵かけご飯はジュージューという小気味よい音をたてる。

 

昨晩の水分離戦法の落ち度は、ご飯の周りを取り囲んでいた物質がご飯の中に取り込まれてしまい、中途半端に残ってしまったことにある。であれば、米粒の中にはしみこまず、かつ粒の間に張り巡らせることが可能な物質で同じことを試みれば今度こそ上手くいくはずだ。そう、まさに例えばご飯と並んで炒飯に必要不可欠である生卵のような。米粒にあらかじめ卵を混ぜておくことにより、米粒同士の結合を防ぐ。これが今日の作戦。名付けて「卵コーティング戦法」である。昨晩に比べて卵の量が増えている理由はここにある。十分なコーティングを施すには、ご飯100gに対して卵が一つ必要だったのだ。

 

全ての卵かけご飯を投入し終え、菜箸で二、三回かき回したあと、加熱温度を一気に最大近くまで上げる。ご飯が一層激しい音をたてる。俺は可能な限りの中の素早さでご飯をかき回す。卵は急激に凝固していき、そして・・・

 

 

 

 

 

 

10分後、フライパンの中は昨晩とは全く違う様相を呈していた。表現するとすればフライパンの中のご飯は、なんというか、パラパラになっていた。ちょっと箸を通すとご飯粒は大した抵抗もなく離れ離れになっていく。

パラパラ。

パラパラである。

やった。

 

 

やったのだ。卵コーティング戦法は成功した。理想の炒飯への道しるべとなる、一筋の光は指したのである。俺は有頂天になっていた。興奮に任せるまま残りの調味料と刻みネギ、そして万能中華のもとをそれぞれフライパン一周程度ふりかけ、十分に混ぜ合わせた後に昨晩と同じようにお茶碗の中に詰め込み、お皿に盛りつけた。お皿に載った炒飯はすぐさま崩壊をはじめ、きれいなドーム状とはかけ離れた姿になっていく。だが、その一見不格好な炒飯の様子すら俺には輝かしく見えた。ご飯がきれいに固まらないということは、その炒飯は理想に近い、パラパラだということなのだから。

 

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食器の片づけは後にして、俺はすぐにその炒飯にありついた。炒飯はアツアツに限る。旨い。我ながら昨日に比べて格段に旨くなっている。なにより、触感が違う。パラパラ。パラパラ最高。「勝利の味」とはまさにこのことである。「空腹は最上の調味料である」とは誰の名言だったが忘れたが、これからは「達成感」も入れておくべきだろう。パラパラ、万歳。ハレルヤ。

 

家の中で一人、わき目もふらず炒飯をかきこみ、げらげら笑っている男の姿はさぞかし気味の悪いことだっただろう。さんざん一人で騒いだあとにふと考えた。さて、それでは俺は目指すべき理想の炒飯を得られたのか。

否。確かにパラパラにはなった。しかし、まだ足りない。昨日の自分が叫んだ理想の炒飯の定義を思いかえす。

 

「お茶碗に行儀よくよそわれたジャパニーズライスのモチモチ触感など不要。協調性なく米粒は反発しあい、その一粒一粒が調味料によってこれでもかと無遠慮に浸食される、一口食べたら陶酔してしまいそうな刺激が舌を攻撃するテロルでアナーキーなパラパラ炒飯こそ至高たりえるのだ」

 

パラパラは達成された。しかし、今日の炒飯にはまだどこか、上品さが残っていた。細川家御用達の石川県産コシヒカリの旨み、弾力性はいまだに健在だったのである。早い話が、調味料の味が薄い。コシヒカリに負けてしまっている。思えば、ご飯がパラパラになったことに浮かれて料理の基本たる味見を忘れていた。これはこれでおいしいが、炒飯としての真理を探究するならばもっと刺激を求めるべきであろう。明日の課題は決まった。酩酊を引き起こすような濃い味で、石川県産コシヒカリを凌辱しつくす。これが達成された暁には、また一つ理想の炒飯への扉が開くであろう。

それにしても、我ながら酔っ払いのうわごとみたいな語り口だなおい。