阿賀野上ノ城の事件簿

昔は名探偵でした。

炒飯 0日目

心にあいた穴に、ひたすら炒飯を詰め込みました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日、祖母が入院した。腰をぎっくりとやってしまい、2週間ほど病院で過ごすことになった。細川家は突如、祖母の力を借りずに生活を行う事を強いられたのである。一番の問題は「料理」だ。

 

母が夕方まで働いている我が家では、夕食を作ってくれるのは祖母だった。祖母がいないとなると母が仕事から帰ってきてから夕食を作るしかなく、実際そのようになった。だが、毎日仕事で疲れた母に料理を作らせるのは忍びない。新人公演も終わり、暇を持て余している大学生であるこの俺が「今日の料理は俺が作ろう」と提案をしてみた。まあ、なんというか、それがすべての始まりだった。

 

 

 母は俺の提案をこころよく引き受けてくれた。とはいえ、俺に作れる料理のレパートリーは一つしかない。炒飯。

 

昔から料理には興味があった。困ったときにさっと余り物で一品作ってくれる料理できる系男子を目指していたのだ。身の程もわきまえていない、哀れなことである。大学生になれば料理を嗜む時間ぐらいはとれるだろうと踏んでいたが、学園座を大学生活の拠り所とすることを決意したことにより、想像以上に忙しい日々となってしまい、手を出す暇などなかった、というのは言い訳であろう。正直に言って、めんどくさかったのだ。去年の八月頃、ようやく暇を見つけたので一品作ってみたが、達成感よりも料理の過酷さを知ったことによる倦怠感の方が強かった。そもそも、状況が悪い。素人ながら丹精込めて料理を作ってみても、食べてくれる相手がいない。

 

「喜びを他の誰かとわかりあう!それだけがこの世を熱くする!」

 

とは俺の敬愛する小沢健二氏の至言であるが、まさにその通り。達成を分かちえる仲間がいない中での孤独な戦いなど長続きするはずがない。結局自分が試したレパートリーはその時に作った炒飯一種類だけだった。こういう切羽詰まった状況に置かれた時、俺が弄することの出来る選択肢が炒飯しかない事態は間違いなく俺自身の怠惰が招いたことであり、芸を磨いておくべきだったと今になって後悔したところで遅い。

 

とにかく炒飯だけならば作れるのだ。なんともおめでたいことに今年のGW期間中、俺にはほとんど何の予定もない。人生のモラトリアム、花の大学生二年目、未だにこの現実を受け入れられていないが事実なのだから仕方がない。時間はある。世のGWを謳歌している勝利者たちに分けてやりたいぐらいには。

ならばせめて見せてやるとしよう。演劇系男子の本気の「炒飯」を。